宮島からレンタカーで広島まで。
ベタな旅ということで原爆ドームへ。
いいんです。家族旅行はベタで。
元々はチェコの建築家が設計した「広島県産業奨励館」が正式名称。
原爆はこのほぼ真上で爆発したためドームと外壁は残るが中の人達は即死。保存か撤去かの論争の後、1966年の市議会で保存を決定。
凄まじい被害と痕跡を視覚的に残した世界で唯一の建物。
いつ見ても重いものを感じる。
海外の人もかなりいたけどどういう心境なのか一人一人インタビューしてみたかった。
原爆資料館は改装に伴い一時閉館。残念。
子供が成長したらまた来よう。
本日の宿は親父の兄貴夫婦の家がある西条。
車でそのまま向かう。広島から1時間ほど。
祖父と5年ぶりの再会?
相変わらず親父にそっくりだな。
西条の叔父さんはデザイナーの親父と違って営業職だった。話好きでまぁ止まらない止まらない。
亡くなった祖父の仏壇に手を合わせるのは5年ぶりか。今回は家族ときましたよ。
あなたのひ孫です。どう?
夜はそのまま居酒屋に連れてってもらった。
カワハギってこんなに美味しいんだ。
瀬戸内海の海の幸をたらふくいただいた。
日本酒の西条鶴は甘め。
うーん、もう少しキリッとしてる方が好み。
で、そこで叔父さんに初めて聞いた衝撃的な話。
品川家のルーツは海賊?
叔父さんから品川家のルーツを初めて聞いた。
元々、東京の目黒川は品川という名前でこの川で物流業をしていたようだ。叔父さん曰く「今で言うところの海賊だったんだよ」ってまた物騒なことを。
その話を聞いた瞬間妻と「品川海賊団!」と声を出す。
?マークの叔父さん夫婦。
失敬。
で、最終的には「毛利元就の家来だった」という衝撃の事実。曾祖父さんは人を殺した日本刀を何本も家に持ってたみたいだけど全部処分したって。
明治になって日本人に苗字が与えられるわけだけどその前から品川家は「品川」という苗字だったとかいう話。
まじすか?
これは今度ちゃんと品川家の系譜を辿る旅をしてみるとしますか。
そんなこんなで家に戻っても叔父さんからウイスキーをいただきながら様々な話を。
酒好きは家系だな。
【続く】
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