とにかく緩い犯罪ヒューマン
巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。
家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。
商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった…
以下、完全ネタバレ
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結局犯罪ありき
少しばかり口の悪いクリントイーストウッドは仕事第一、家族は二の次。
娘の結婚式まですっぽかしてしまうしょうもない爺さん。
そんなクリントイーストウッドがメキシコのカルテルの運び屋になって大金を稼ぐようになりその中で家族の大切さに気づきはじめるというのが大まかな筋。
家族をかえりみなかった男が家族の大切さに気づくという確かに心温まる話だと思うし妻が病気で亡くなる時に看取るシーンなんかはとても感動的だった。
だけど観ていて何か釈然としなかった大きな理由がある。
クリントイーストウッドは罪を犯している。
いくらその金で家族や友人を助けたところで彼の運んだコカインで大勢の人を地獄に送った事実がある。
ここの描写をこの映画では完全に無視しし、ひたすらクリントイーストウッドの暖かなヒューマンになっているという点だ。
さらに彼が長年放置してきた家族の大切さに気づくきっかけも結局は「犯罪によって」という点もこの映画を手放しに賞賛できない理由の一つだ。
結局運び屋にならなかったら家族の大切さに気づけなかったのかよ。
展開もかなり王道
スートーリー展開もクリントイーストウッドらしいひたすら王道を進む感じ。
しかし追われる者と追う者がお互いの素性を知らずに偶然出会って会話するというパターンってアメリカ映画ではかなり王道だよね。
運び屋のクリントイーストウッドと麻薬当局のブラッドリークーパーが朝のカフェで話すシーンはほっこりはしたけどこのあと再会する時はきっとクリントイーストウッドが捕まる時だろうなと容易に想像できる。
クリントイーストウッドはしょうもない爺さんだけど何となく嫌いにはなれないところはある。
この人を見てるとあまり悪い事をしていると思えなくなってくるから不思議だ。
非常に陽気で愛想がよくて友人想いの気のいい爺さん。
孫の旦那の知り合いからたまたまもらった仕事がカルテルの運び屋だっただけだ。
だけど映画としてこのままクリントイーストウッドが逃げ切るというのはまずありえない。
なにしろアメリカ映画では特に「悪いことをすればバチが当たる(罪を償う)」というお決まりのパターンがある。
そして今回もその王道パターンだ。
だから一層クリントイーストウッドが家族の信頼を取り戻し始めていくと共に段々と観ているこちら側としては心苦しくなってくる(恐らく捕まるんだし)。
なんとなく捕まらないで欲しいなぁなんて思ったり。
まとめ
色々言ってきたが基本的に楽しんで観れた。
知らぬ間に一般市民が犯罪に巻き込まれてしまうと言う危険性もきっちり描かれている。
なんでもこの主人公の爺さんは実在した人物をモデルにしているから驚きだ。
そりゃ警察も運び屋が高齢の爺さんだとは思わないよな。
最後に映画を観ていて気になる点を。
そもそもなんだけど明らかに風貌も悪そうなメキシコ人から「荷物の中身は見ずに荷物を運べ」なんて指令って流石におかしいと思おうぜ?
いくら90歳近い爺さんだからと言っても防衛本能無さすぎる。
それに最後にカルテルが捕まるシーンは入れて欲しかったな。
凄くモヤモヤが残る。
しかしクリントイーストウッドってこの歳になってもコンスタントに作品を作ってて本当に感心してしまう。
どの作品を観ててもそうなんだけど落ち着いていて安定して観れるし伝えたい事が明確。
名優であり名監督なのはもはや言うまでもない。
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