【Netflix】愛なき森で叫べ「ネタバレ感想」園子温監督、北九州監禁殺人事件に手を出すとヤケドしますよ

スポンサーリンク
映画・DVD・Blu-ray

2019年/日本映画/152分

f:id:ikkoshinagawa:20200504090533j:image

1995年、愛知県豊川市から上京したシンは、ジェイとフカミに声をかけられ、自主映画制作に参加し、知人の妙子と美津子に出演を依頼する。

世間が銃による連続殺人事件に震撼していた頃、引きこもりとなっていた美津子に村田という男から電話がかかってきた。

村田は「10年前に借りた50円を返したい」という理由で美津子を呼び出し、巧みな話術とオーバーな愛情表現で彼女の心を奪っていく。

だが、村田の正体は、冷酷な天性の詐欺師だった。

妙子から彼の本性を知らされたシンたちが、村田を主人公にした映画を撮り始めたことで、事態は思わぬ方向へと転じていく。


 

Netflixならやってくれると思ったけど…

f:id:ikkoshinagawa:20200504102656j:image

何かと「北九州監禁殺人事件を園子温が映像化した!」とか騒がれていたが正確にはあの事件から着想を得ただけで実写化ではない。

⬆︎

ここ重要なとこ。

なので北九州監禁殺人事件のノンフィクション「消された一家」を読んだことがある方がこの作品にあの残虐性を求めたりしても肩透かしを食らうだけだ。

いや、十分に残虐であることは間違いないが実際の事件の方があまりに桁違い的に残酷なので…

園子温が北九州監禁殺人事件に着想を得て映画を作ったということで「自殺サークル」や「冷たい熱帯魚」などで発揮されていたスプラッター性が今回でも爆発するのかなと思ったけどそう言ったシーンは少なめ。

さすがに糞尿食わせるシーンはないにしても陰部への通電もなく、子供を殺し解体するシーンもない。

そもそもこの映画では被害者たちは一室に監禁されていない(村田のマインドコントロールにかけられていて逃げられないという点においては監禁と同じだが)。

共通してるのは村田という詐欺師によってマインドコントロールにかけられ殺されるというくらいでこれはあの事件とは別物として観るべきである。

  // <![CDATA[ (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); // ]]>

園子温の作風が裏目に出た

f:id:ikkoshinagawa:20200504101339j:image

映画の妙子は実際の事件の緒方純子の位置だけど肝心の「なぜ洗脳されたのか?」という部分の描き方がちょっと雑。

気づいたら村田にゾッコンだったからちょっと描写が粗い。

粗いくせに園子温は今回も色んな余計なもの足しすぎてる。

冒頭のロミオとジュリエットのくだりが出てきた瞬間から「あぁ、これはもうあの事件と切り離して観ないといけないな」と腹をくくって観るわけだけど最後まで展開がめちゃくちゃ。

あえて実写化でなく園子温なりのポップさを加えてほぼオリジナルっぽくしてるんだけどだったら完全オリジナルにしてほしかった。

f:id:ikkoshinagawa:20200504102833j:image

なんで満島真之介が最終的に殺人犯に…?

でんでん夫婦が村田に脅されてなんでパンクな衣装?

村田のリサイタル?

正直全く笑えない。

「地獄でなぜ悪い」のめちゃくちゃ加減とも違う。

園子温の作品って整合性とか取れていなくてもテンションでなんとなく押し切る部分があっていい方にブレた時の爆発力は凄いんだけどそうでない時はかなりの確率で駄作になる傾向がある…。

なぜ今回全然笑えないのかというとやっぱりあの事件のせい。

どうしても「北九州監禁殺人事件をモチーフにした」と言われるとあの事件を重ねてしまうのは当然でこの作品とのギャップに違和感を感じるのは自然なこと。

これ、もしかしたら誰も得しない作品なんじゃないかな。

全体のノリが学生の自主製作映画みたいな空気なのは毎度の事だけど。

f:id:ikkoshinagawa:20200504102638j:image

あまりに実際の事件の松永太が色んな意味で凄すぎたので椎名桔平が霞んで仕方がない。

あぁ、自分で「別物」と言っときながらやっぱりここでも比べちゃってるよ…

椎名桔平は確かに怪演といった感じでなかなかハマってます。

けど話が進むうちにどんどん凡庸になったかな。

ただ口が達者なおっさんって感じで狂気みたいのが感じられなかった。

2時間半あるけど今回は観ていて少ししんどかった。

やっぱり映画内で本人をモデルに村田が映画を撮るって設定自体に無理があるような気が…

「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので作家の新堂冬樹がこの事件をモチーフに描いた小説「殺し合う家族」も正直言って生ぬるかった。

こういう言い方は遺族には申し訳ないがもうこの事件に関してはどんな作品も実際の事件には太刀打ちできないし結局は比べられてしまうので誰も得をしないと思う。

「こういう恐ろしい事件があった」という事を後世に伝えていくことは意味のあることだとは思うけど下手に手を出すとヤケドしそうな程強烈な事件なのは間違いない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました