江戸前晋作の西村大将は実は僕とタメで親近感あるのに歩んできた人生は全く違うもの。
今回はそんな西村大将にインタビューしてきました。
ヤンチャな10代
西村:名前は西村晋作、出身は長野県長野市です。
イッコー:学生時代の話とか聞いてもいいですか?使える話で。
西村:全然いいですよ。〇〇乗ってました。
イッコー:長野の料理人ってそういう人多いですよね笑
西村:でもそういうやつの方が気合い入ってますよ。まぁでも、冗談抜きでまわりは不良は多かったですね。
リーゼントで長野から東京にいきなり来てコンビニでとまってたら「お前すげぇなその格好」って地元のヤンキーたちに早速絡まれて。
「今日長野から来たんだよ」「お前面白ぇな」
ってその日でそのヤンキーたちと仲良くなって、そこからかなり友達増えましたね。
東京来るとそういう悪事なんかでめちゃめちゃ稼げちゃうんで特にヤクザになる必要がなかったですね。車のなかにいつも500万くらい現金で積んでたりました。
イッコー:そこからはどんな日々だったんですか?想像つくけど。
西村:逮捕もされてますね。二十歳超えても捕まってました。でもこの先ないなと思って。悪の道で突き進むか、真っ当な方へいくかで仲間は分かれていて、自分も真っ当な方で生きていくことにしました。で、どうせなら好きな料理を仕事にしようと思って。
イッコー:食べるのも好きだった?
西村:食べるのも作るのも好きで。両親が共働きでいつもいなかったから保育園ぐらいから食材出して切ったりとかしてました。
イッコー:え?保育園から?家にいながらサバイバルですね笑
西村:小学校になったら結構放置でしたね。だけどそれがきっかけで料理の楽しさに触れることができて、料理を仕事にしようと決意しました。
イッコー:そっから修業に入る感じになるんですか?
西村:それが人の下についてやるのが昔から嫌いで…暴走族辞めたのもそれがきっかけだったんですけど、自分が一方的にキレて辞めてしまったり。
イッコー:それは天ぷら屋?
西村:色んな飲食店やりましたよ。自分で食べ歩きをしたり、河岸行ったり、図書館で本読んだり。
イッコー:天ぷらに絞る感じじゃなかった?
西村:絞ってないですね。まずは料理をはじめようっていう段階でした。
みかわに出会う
西村:最初はフレンチを勉強してました。もちろんこだわればこだわるほど美味しくなる魅力的な調理法なんですけどなんかちょっと違うなと思って。
なにか一つの技法を深く掘り下げる方が自分の性格に合ってるなと思って、天ぷらってなった時に脳からアドレナリンが出て、そこから天ぷら屋さんを食べ歩きました。
でもなかなか思ってるような店に出会えなくて、そんな時知り合いから「みかわってお店行ってみなよ」って言われて。
でも「行ってみな」って言われたら行きたくなくなっちゃう性格で。
イッコー:めんどくさい笑
西村:それである日、本屋でたまたま見つけたみかわの本を読んだら全然天ぷらの話書いてないんですよ。
この人の生き方すげぇなと思って食べに行ったら今までの食べてきた技法と全然違くて。そっからですね。
イッコー:早乙女さんというと稼いだお金でキャバクラ行ったり破天荒な方ですよね。その早乙女さんの生きた方と天ぷらに惹かれたのがきっかけだったんですね。けど「みかわ」で働くという選択肢はなかったんですか?
西村:いや、この人と揉めたら厄介だなと思って。そっからは毎週食べに行っては使ってる道具、油の種類、火入れ加減など毎日家で再現してました。
イッコー:え、家で?
西村:はい。鍋の手元が見える席は常連さんの席なので、自分はとにかく音を聞いて、同じ180℃でも卵の割合、小麦の割合など聞きながら調整して研究する日々でした。
イッコー:早乙女さんもまさかそんな感じで来てるとは思ってもないでしょうね。めちゃめちゃ技盗みにきてるという笑
結局その期間はどのくらいだったんですか?
西村:3~4年ですね。
イッコー:3~4年の間、「みかわ」の厨房ではなくカウンター席で勉強してたんですね…。
その間バイトは?
西村:不動産の手伝いとかしてました。
イッコー:あ、真っ当な仕事でよかった笑。独立のタイミングは30代って決めてたんですか?
西村:もうちょっと早く独立したかったんですけどビジネスが全然分からなかったので色んな人に相談しながら勉強していった感じですね。31歳で開業しました。
でもオープン仕立てのことろは苦しかったすね。
イッコー:お客さんがこなくて?
西村:いや、お客さんなんかどうでもよかったんです。自分の理想とする技術に到底追いついていないことが何よりも苦しかったしもどかしかったしノイローゼみたいになってました。
最初は嫁さんが手伝ってくれてたんですけど出産を機に一人でバイトも入れずに営業してて、結局4年半くらいはワンオペでした。
この性格なんで引っかかることがあると次の日に持ち越したくないんですよ。だからその日は夜中の3時まで練習して片付けしてたから一日睡眠は2~3時間くらい。また朝8時から仕込み初めて。
イッコー:解決するんですか?
西村:解決させます。なんとか自分が納得するところまで調整してもっていきます。
イッコー:天ぷらってコースで12種類出るとすると12個答えがあると思うんですけどそれは本当に膨大な作業と労力でしたね。
西村:根性や努力とかはあまり思ってなくて、それよりも早くお客さんに「旨いね!」って言ってもらえるような天ぷらにするか、そっちの欲求の方が強かったですね。
イッコー:4年半くらい一人でやってその辺から手ごたえはつかめた感じですか?
西村:いえいえ、いまでもまだまだって感じです笑
でも誤解されたくないから聞かれたらちゃんと説明はしてましたね。
イッコー:天ぷらの世界ってそうちゃって言語化して説明してくれる人って凄く少なかった。聞いてもボヤっとしてるんですよ。
西村:感覚的なところが大きいんですよね。だから弟子にも言ってるんですけど「絶対自分と同じにならないから学ぶことは学んであとは自分の色を出して」って。
イッコー:自分で考えて自分の答えを作らなきゃいけないわけですね。でもそうこうしてるうちにミシュランが来ましたね。
西村:いつかは取りたいなとは思ってましたけどまさか本当にミシュランとれるとは思ってなかったです。「親はなにそれ?」って反応でしたから。まわりが騒ぎ出したら手のひら返しで喜んで笑
でもミシュランに関してはやっぱり嬉しかったですよ。
イッコー:本郷三丁目から人形町にお店を移した理由は何だったんですか?
西村:冷蔵施設が全然ダメだったんで、穴子や車海老などの魚のためと、熟成させるんでその冷蔵場所、あとは従業員入れて自分はより天ぷらに集中できる環境を作るためです。
イッコー:なるほど。今年で開業して8年目。そしてミシュラン一つ星も7年連続なんですね。
西村:よくうちなんか載せてくれましたよ。でも当初は本当に寝れなかったですもん。今日も仕込み間に合わなくてお客さん待たせた夢を見ました。
イッコー:僕色んな職人にインタビューするんですけどけっこう皆さんそういう追い詰められる夢みてるみたいですね。やま幸の社長も毎日マグロの夢見るって。
西村:本郷のころのトラウマなんですよ。答えがないし100点って自分で決めることなんですけどそれができないんですよ。永遠と追い続ける感じで日々考えてます。
将来の展望
イッコー:将来はどうしたいとかあるんですか?
西村:いつか北海道で農業やりたいなと思ってます。やっぱり食材って毎日違うし、いいものが入ってきた時はこっちも嬉しいし。だからそういうもの作りたいなと思ってます。
あとは弟子なんかいらねぇやと思ってたんですけど意外と教えるの好きみたいで。天ぷらというより料理人として立派な人間を育てていくのが楽しいんです。
天ぷらや料理のことは怒んないんですけど大事なことやお客さんに関わることだとめちゃめちゃ厳しく怒ります。あと何年かで芯の太い人間に成長してくれたらいいなっていう楽しみはありますね。だからそういう場所も一個作りたいかな。
イッコー:ちゃんと更生してよかったですね笑
本日はありがとうございました!
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