とある和食屋で一緒になった自称グルメなご婦人と美味しい鮨屋の話になった時にその自称グルメご婦人は「すきやばし次郎が一番ですよ」と誇らしげに勧めてきた。
すきやばし次郎といえば新規の客は予約できない店である。
このご婦人は既に何度も訪問してるらしく私にマウントを取るかの様にやたらと「一番」と言う言葉を多用していた。
私は「ではどのあたりが良かったんですか?」と聞くと、
自称グルメご婦人は
「全部ね」と全く具体性に欠ける回答。
なるほどね。
それからこの方とは会話するのはやめて酒を静かに飲むことにした。
「イッコーさん、今まで行った店でどこが一番美味しかったですか?」
この質問を年間めちゃめちゃ受ける。
その度に毎回私はこう答える。
「一番なんて決められないですよ」
はじめて会って会話をしたい気持ちもあると思うがこちらもなんだか質問自体否定した様な気持ちになり若干申し訳なさを感じてしまう。
はっきり言うと実際、一番なんて存在しない。
まず何をもって一番なのか?
鮨屋なんて仕入れるネタのクオリティで同じ仕事をしても仕上がりはだいぶ変わってくる。
鮪だって夏と冬とでは味わいが全く異なるしとれる地域によっても違ってくる。
まだ味としては淡白だから何日か寝かせて脂がまわったら出すかとか個々のネタの状態をみて職人が手を施す。
だからいいんじゃないか。
同じネタで同じ仕事ならどこへ行っても変わらなくなってしまう。
ネタだけじゃない。
シャリだって「この店のシャリは光物に合うんだけど白身だったらあの店の方がマッチしてたな」とかね。
12貫あるとすれば12種類のネタにそれが言えるわけでつまり比較対象は12種類。
さらに四季によっても異なってくるわけでそう考えるととてもじゃないけど簡単に「ここが一番だ」だなんて言えない。
言えるわけがない。
それは店を多くまわってる人ならなおさら。
私は何もこの記事ですきやばし次郎をディスるつもりなど毛頭ない。
むしろこのお店こそいまの鮨屋のスタイルを広めた元祖的なお店であり鮨業界にもたらした功績は計り知れない。
私が問題視しているのはこの自称グルメご婦人である。
比較対象の要素が圧倒的に足りないのか最初から「鮨と言えばすきやばし次郎」と断言してしまうのはかなり短絡的で洗脳的でその他の鮨屋を一気に切り捨ててしまう勿体ない思考なのではないか?
自分の中で「何が〇〇だから一番だ」という明確な根拠が答えられない時点で情報で食べてるのかなとしか思えない。
経験がない人は情報で食べるのは仕方がないことだとは思う。
私も全く鮨の経験がないころに鮨 さいとうに訪問してしまったことはある種よかったがある種不幸でもあったかもしれない。
少なくともいまは食べログの点数が低くても自分の舌で味わって自分の中で評価をしようと思う。
みんながいいと言ってるからいいと言うのはまだAIの方がマシである。
自称グルメご婦人よ、
いや、鮨BBA
あんたの言ってることは浅い!
と言うわけでこれからすきやばし次郎へ行ってきます。
ここは店内撮影禁止なので動画は撮らずにブログでまた後日。
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